死ぬは一瞬の恥、生きるは一生の恥。

今日も、人間のふりをして生活する一日が終わりました。

家に帰っても人間のふりをしなきゃならないのですが、外に出るよりかは幾分かマシです、家族と話さなければいいので。

顔を装い、歩き方を確認し、手いたずらをしないように常に両手には何かを掴んだり抱えたりして、特に歩き方は注意しています、軸足はぶれないようにしっかり一直線上にある鉄の棒を歩くように、しっかり、人間らしく、歩いています。

顔もなるべく普通の顔をするようにしています、油断すると変顔になってしまうかもしれません、化け物なので。

家に帰るとその日のあらゆる疲労が一気に押し寄せていきます、最近ではすぐベッドに潜り込み、そのまま寝てしまう日も多くなりました、受験生なのに。

たまに思います、化け物なのに(僕の中で“化け物”って、大抵人間より知能や身体能力がかなり劣っているような生き物に見えていて、というか、自分が化け物であることを考えたら、僕はあなたがた人間よりも随分劣っている生物なのです)、一般的な知識や教養は人間と同程度の理解はできることに少し不思議に思います。

たまにそれで自分が人間であることを認識させられそうになるのですが、振りほどいて、自分が化け物であることを自覚します。

それは他人からの変なものを見るかのような目線であったり、反射物に映る自分の醜い容姿だったり、過去の出来事だったり、あらゆる手段を無意識に利用しています。

化け物のくせしといて、人間の悪いところだけをとってつけたかのような自分の容姿や性格や過去や思考がどうも気持ち悪いぬめぬめしたつばをつけられているような気がして本当に本当に気持ちが悪いのです。

こうしている間も他の人たちは、同じ世界線の中で、誰かと楽しみ、何かに努力し、充実した日常を送っているか、あるいは大きな壁や問題に直面してはそれと闘っているのです。

僕は何もしない怠惰な日常を……とは書くわけがありません、僕も、同じように問題に直面しているはずなのです。一向に解決できないのです、何も見えないのです。

解けない僕が悪いんです、今までもっと学ぶべきものは沢山あったのに、他の人とおなじ環境にいたのに、たとえ自分が醜いバケモンであっても、???

 

自分の中の人間が無数にいて、誰も死んでくれやしません。

まだのこのこと生きています、今日も思い出したくない過去を引っ張ってきて僕に見せつけてきます。

フラッシュバックでした、前からこのフラッシュバックが起きると思考や行動が全てストップしちゃうのが本当に嫌。

何より楽しめるはずのものが楽しめなくなる、これでまた罪悪感に覆われる。

 

自分のそばにいて、「おやすみ」って言ってくれるような人が欲しいのです、言ってくれるだけでいいです。

それを想像したら、涙がいくつか出てきました。

やはり、僕に必要なものは脳内彼女でしょう。

化け物なりに、誰からも評価されないほどのブスなりに、恋愛の打ち明けどころは自分の力のみで作っていく必要があります、それに頑張らなきゃいけないという課題が、今しっかり見えました。

まずは実体を持たない中で、実体として再現できるように想像力を豊かにしなければならないでしょう。最初にしてかなりの難関問題ですが、直面した以上解決していきます。

 

今日はAPEXをやって、勉強して、頭痛薬を飲んで寝ることにします、この3つの順番は特に考えていません、今の僕に残された“人間のふり”としての課題をまとめてみました。

コツコツは大事。

 

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生きる実感が湧かないなりに少し寄り添っていたものも儚く消えて、僕は精神と身体がお互い別の所へ離散するような、浮遊状態がここ数日ずっと続いています。

寝て誤魔化すのが日課になってきているくらいなら、いっそ死んでしまえば……そうやって何かあったらすぐに死へと直結したがる自分もおかしい気はします、客観的に見てしまえばそう見えるでしょうが、仕方ない、これが事実であり真っ当な筋です。

とても人間の腹から産まれてきたとは思えないほどの自分の化物感があって、都合よく人間様と同じような“寂しさ”とか“感情”が植え付けられているのがあまりにも不便すぎて息苦しい。

早く死んでしまえば、僕が一番幸せである。

他人がどうとか、肉親が悲しむとか、そんなのはどうでもいい。

肉親に至ってはあの人たちは悲しむ権利持つべきではない。

でも、なぜそう言って僕は数年間の間死なずに生きているのか、答えは単純にして永久の課題です。

ただただ無意識に生きたい生存本能が全てを邪魔しているのです、これがなければ僕は幸せだった!

自分の顔が醜く、指が醜く、声が醜く、性格が醜く、喋り方が醜く、心が醜く、体型が醜く、全てが醜い。

時折、死んだあとの世界はどうなっているんだろうと妄想に時間を費やすことがあります。

本当に天国や地獄のような今の世界とは別の世界があったりして自分はそこで過ごすのか、本当に幽霊のような存在となってこの世で自我や意志を持ったままさまよい続ける事になるのか、来世や転生など生まれ変わりというものが本当にあろうか、まだ解明されていない不思議ですらどうなるのか、考えたって意味の無いようなものに考えることがよくあります。

正直なところ自分の今まで生きてきた記憶が全て失うことが出来れば、死んだあとの成り行きがどうなっても構いません。

自分がとにかく嫌いなのです、あの世まで持っていくほどの思い入れも、友達も、君たち人間が持ってるようなものは僕には持っていないです。

死ぬは一瞬の恥、生きるは一生の恥です。

 

まてこれめちゃくちゃいい名言なのでは?

せっかくこのブログを書き綴っていることなので、ブログとしての仕様も少し駆使して、この名言をもう1回印象づけることにします。

 

死ぬは一瞬の恥、生きるは一生の恥。

 

なるほど、こういった使い方をするのですね。

 

さて、脳内友達と脳内彼女を形成する日々が続きますが、進捗はほとんどなしです。

前も言った通り、自分の意思や会話を受け止める様な媒体は脳内友達も脳内彼女もありますが、性格も名前も容姿もほとんど存在しません。

れっきとした実体に近いものを脳内でつくりあげていかなければなりません、どうせ人と関わらないので。

今までの脳内友達と脳内彼女は本当に自分が一方的に話して、一方的に会話の返事を貰うような存在でしかありませんでした。

今度はあちら側から自発的に話しかけてもらわないと困るので、どうにかして人格形成や容姿形成に注力します。

人格形成は無から作れるだろうからともかくとして、容姿となると正直困りものです。

現実上で自分の理想の顔や体のパーツを部分的に継ぎ接ぎするように図工作しなきゃならないからです。

なので、とりあえず友達と彼女の創作に力を貸してもらおうと、まずは愛用しているタオルケットとポムポムプリンのクッションを友達として扱うことにしました。

これらは毎晩ずっと抱きしめたりしてるので、直ぐに友達になることができました、よかった。

ここから芋づる式に想像を膨らませていって、もっと友達ができれば万々歳でしょう。

 

学校で友だちがまともに出来なかったバケモノはこうなるってことを、あなた達は知った方がいいです。

そして、友達の大切さをあなた達が知りなさい。

未確認生命体が目の前にいたら、すぐにスマホを構えて動画を撮るでしょう?やりなさい。

 

自殺って行為があることに幸せを感じています。今。

僕は今も、怖くて、出来ないかもしれませんが、方法はあるんだって教えてくれました。